来年の日本GPは富士スピードウェイ?
2006年 03月 11日
10日 FOA会長のバーニー エクレストンは、2007年以降の日本GPについて、富士スピードウェイと開催契約をすでに結んでいると発表した。
これで1987年以来、今年で連続20回となる鈴鹿サーキットは最大のピンチとなった。(読売新聞)
関東地方のファンにとっては、富士のほうが近いので歓迎されるかもしれないが、私にとって鈴鹿サーキットは特別な思い出がある所だ。
今から10年以上も前に、F1のスポンサーに勤めていたので、毎年日本GP開催中はスタッフ一同鈴鹿の町で合宿していたのだ。
東京から新幹線で名古屋に行き、名鉄に乗り換えるのだが、東京駅から一人の白人がずっと同じ車両に乗り合わせていた。名鉄の白子駅で降りてタクシー乗り場に並ぶと、その白人は私のすぐ後ろに並んだ。
なんと、彼はジャン アレジだった。
F1ドライバーが、グリーン車にも乗らず、お迎えの車もなく、自分でタクシーに乗ってサーキットに向かうなんて信じられなかった。
当時は、VIPは鈴鹿サーキットのヘリポートまで直接飛んで来ていた時代なのだ。
ホテルはどこも一杯だったので、我々スタッフは白子の町の船宿を借り切って合宿していた。
船宿の風呂は狭かったので、夜はみなおそろいのF1ジャケットを着て、近くの銭湯まで出かけた。
スタッフの一人に、外国人がいて、彼はナイジェル マンセルに顔が偶然似ていたのだ。
別のスタッフが冗談で、番台のおばさんに、「ナイジェル マンセルがお忍びでこの銭湯に来ている。」と話してしまったら、おばさんはその話を信じてしまって、番台から次々と電話をかけて町の人を集めてしまったのだ。
「うちの銭湯に、マンセルが来てるよ!」って。(ありえない!)
我々が湯から上がる頃、銭湯には色紙を持った子供たちが列を作っていた。
しかたがないので、外国人スタッフはそのままマンセルに成りすまして、たくさんのサインをする羽目となった。
その後ジャン アレジはゴクミと結婚して、日本でもすっかり有名になった。
マンセルはどうしているのだろう。
彼と握手してもらったことが、今となっては懐かしい思い出だ。
これで1987年以来、今年で連続20回となる鈴鹿サーキットは最大のピンチとなった。(読売新聞)
関東地方のファンにとっては、富士のほうが近いので歓迎されるかもしれないが、私にとって鈴鹿サーキットは特別な思い出がある所だ。
今から10年以上も前に、F1のスポンサーに勤めていたので、毎年日本GP開催中はスタッフ一同鈴鹿の町で合宿していたのだ。
東京から新幹線で名古屋に行き、名鉄に乗り換えるのだが、東京駅から一人の白人がずっと同じ車両に乗り合わせていた。名鉄の白子駅で降りてタクシー乗り場に並ぶと、その白人は私のすぐ後ろに並んだ。
なんと、彼はジャン アレジだった。
F1ドライバーが、グリーン車にも乗らず、お迎えの車もなく、自分でタクシーに乗ってサーキットに向かうなんて信じられなかった。
当時は、VIPは鈴鹿サーキットのヘリポートまで直接飛んで来ていた時代なのだ。
ホテルはどこも一杯だったので、我々スタッフは白子の町の船宿を借り切って合宿していた。
船宿の風呂は狭かったので、夜はみなおそろいのF1ジャケットを着て、近くの銭湯まで出かけた。
スタッフの一人に、外国人がいて、彼はナイジェル マンセルに顔が偶然似ていたのだ。
別のスタッフが冗談で、番台のおばさんに、「ナイジェル マンセルがお忍びでこの銭湯に来ている。」と話してしまったら、おばさんはその話を信じてしまって、番台から次々と電話をかけて町の人を集めてしまったのだ。
「うちの銭湯に、マンセルが来てるよ!」って。(ありえない!)
我々が湯から上がる頃、銭湯には色紙を持った子供たちが列を作っていた。
しかたがないので、外国人スタッフはそのままマンセルに成りすまして、たくさんのサインをする羽目となった。
その後ジャン アレジはゴクミと結婚して、日本でもすっかり有名になった。
マンセルはどうしているのだろう。
彼と握手してもらったことが、今となっては懐かしい思い出だ。
by mac-trading
| 2006-03-11 10:48